このように、武徳殿は明治32年の落成以来、演武場・道場として、また多くの武道家の修練の場として、武道の殿堂という地位を保ちつづけているのです。
毎年5月2日より4日間にわたり「全日本剣道演武大会」(旧京都大会)が日本全国はもとより世界各地から錬士六段以上の3000人を超える剣士が1年間の修錬の成果を披露する演武大会として行われています。
京都府剣道連盟に所属する武道家一人一人がこの武道のメッカである武徳殿で常に稽古が出来る喜びと、誇りを持ち、いつまでもこの武徳殿を守っていく義務と責任を持たなければなりません。年代 | 出来事 |
明治28(1895)ころ | 平安遷都1100年祈年のころ武道復興の気運が高まり、伝統武道振興を図る「大日本武徳会」結成。 この演武場として武徳殿の建設計画が持ち上がる。 |
明治28(1895) | 第1回武徳祭大演武会を平安神宮で開催。 後の全日本剣道演武大会(京都大会)に繋がる。 |
明治32(1899)3月 | 前年から着工していた武徳殿が平安神宮の北西に完成。 |
明治32(1899)5月 | 第4回武徳祭大演武会を武徳殿で開催。 |
明治38(1905) | 武術教員養成所(後の武道専門学校)を設立。 伝統武道の継承発展に努める。 |
昭和21(1946) | GHQから大日本武徳会解散の命を受け、併せて武専も閉校。 武徳殿などの関連施設は駐留軍に接収。 |
昭和26(1951) | 接収の解除を機に、京都市が武徳殿を買い受ける |
昭和27(1952) | 京都市警察学校を開校、再度道場として利用をはじめる |
昭和31(1956)~ | 前年の警察法改正により、警察学校の必要が無くなったため、京都市立芸術大学音楽学部の学校施設として利用される。 その後、音楽学部の移転計画が持ち上がる。 |
昭和55(1980) | 武徳殿保存が決定 |
昭和58(1983)6月 | 明治期の大規模木造建築、武道史における貴重な建造物である点が評価され、京都市指定有形文化財(建造物)になる。 |
昭和60(1985) | 多くの武道愛好家から寄付を募り、武徳殿修復工事に着手。 2年後に完工。 |
平成8(1996) | 国重要文化財の指定を受ける。 |